風林火山特別篇(第3話)

 昼食の合間に話し合った結果、この日は武田信玄の縁の地である甲斐善光寺武田神社を訪問することに。お家芸の目分量で測ったところ、甲斐善光寺が駅から東へ4キロぐらい。武田神社が駅から北に2キロぐらいのようです。
 車で行けば、さもない距離なのですが、歩いて甲府の街の風情を肌で感じるのも、また一興。そんな理由で、僕らは駅前から歩いて行くことにしました。最初の目的地は、甲斐善光寺でございます。途中、城跡があるようなので、そこを経由して進むべく、僕らは該当する方向へと歩を進めました。
 すると歩き始めて間もなく、入場無料の資料館があったので、まぁタダならいいかと入ってみることに。
 館内――特に資料館ブースは、猫の子一匹いない逆大盛況状態だったわけですが、狼煙上げゲーム(面倒臭いので、説明は省きますが、要は8つのボタンを順番に早押しするゲーム)だとか、有名武将の声が聞こえる機械だとかがあり、つまらなくはなかったです。きっと2年前のご当地大河ドラマのときに、張り切って造ったけど、すっかり寂れてしまったパターンですね。大河ドラマあるあるです。
 無料なだけに資料館を堪能した僕らは、再び東を目指して進みます。すると早々に城跡に到着しました。
 ん? でも待てよ。信玄公は、『人は城 人は石垣 人は堀(でしたっけ?)』との言葉を残したことからも分かるように、良い人材がいるから、城なんて必要ねぇってスタンスの人だったはず。本拠地も城じゃなくて、躑躅ヶ崎館だったわけですよ。それなのに城跡って、どういうことじゃい!
 納得できなかったので、いつもは史料になんて目もくれない僕も、珍しくガン見していると、どうも江戸時代に使われた城だったみたいです。なんだ、だったら興味ねぇや。
 戦国時代以外の歴史に全く興味を示さない。江戸幕府を開いて、戦国時代を終わらせた家康がちょっと嫌い。そんな偏った歴史愛好家がいてもいいじゃないですか。
 とはいえ、この城跡は甲府市民の憩いの場所らしく、広々とした公園になっており、高台から甲府の街が見下ろせて、景観的にはなかなか良かったです。
 城跡を一回りした僕らは、再び甲斐善光寺を目指して東へ進みます。しかし、東に歩を進めていたはずが、その実……。
 歩けども、歩けども見えてこない甲斐善光寺疲労のせいか、段々と口数が減り、とうとう無口になる僕ら。これぞまさに、『静かなること林の如く』。
 次回、一行に衝撃が走ります。(つづく)